彰化県文化局文化局の前身

立法院で成立した「社会教育法第4条:県(市)は図書館を中心とした文化センターを設立し、社会教育や文化活動を実施しなければならない」、および「教育部による各県市文化センター設立に当たっての大綱」により、1978年に本局の前身である「彰化県立文化センター」の設立が決定され、1981年6月に発注され、漢宝徳教授が設計を担当しました。同年同月26日に工事着工、1983年1月に竣工し、同年10月4日に彰化県図書館を併合するかたちで正式に落成、会館しました。(ちなみに、彰化県図書館は、もともとは1936年(昭和11年)成立の『彰化市立図書館』であり、1950年9月に『彰化県図書館』と名称変更して員林分館を設け、1951年7月には鹿港閲覧室を、1955年には北斗、鹿港分館を設けましたが、員林分館は1986年12月に、北斗、鹿港分館は1988年9月にそれぞれ廃館となりました。『彰化県図書館』址は、現在の彰化市役所そば、台湾土地銀行彰化支店です。)

沿革

運営初期は19人体制で、主任(図書館館長を兼務)、幹事(総務組長を兼務)の下に博物組、広報組、芸術組という三つの事務処理チームを配する組織構成をとり、図書館を中心として、行政院文化建設委員会、台湾省政府教育庁が編成した予算によって各種の社会教育や文化活動を実施していました。初代文化センター主任は林海清氏が担任しました。
南北管音楽戯曲館1994年以降、行政院文化建設委員会、台湾省政府文化処による地域密着型全国文芸フェスティバルおよび社区(共同体)づくりの推進策をうけて、文化局は地域文化推進の中心となりました。さらに、本県独自の「南北管音楽戲曲館」、パフォーマンスホールである員林演芸ホールの建設企画が加わって、日常処理すべき業務がどんどん増えてきて、元来の19人体制では新規業務の推進や所定のサービス提供が難しくなったため、1993年末からセンター職員の編成拡大を計画しました。編成拡大の申請から4年あまり経過した1998年5月、ついに上級機関と県政府の認可が下りて46人体制とすることが決まりました。1999年度から3年かけて毎年9人を採用し、組織は、主任、幹事の下に二組(総務組、広報組)、三館(図書館、芸術館、博物館)、および人事、会計の両機構を配する体制となりました。
員林演芸ホール1999年8月、内政部は地方制度法第62条第1項から第3項までの規定により「地方行政機関組織準則」を制定・公布した結果、同法第3条第2項の規定により、県(市)政府はその準則に従って組織自治条例を制定し、その準則および各地方政府が制定した組織自治条例により所属機関規程を制定しなければならなくなりました。本局は「彰化県政府組織自治条例」第11条第1項の規定により、「彰化県文化局組織規程および編制表」を定め、県事務会議の審査を経て、手続きどおりに銓敘部(公的機関の人事担当部署)に報告して、同意を得ました。
2000年1月、制度改正により文化局は彰化県政府所属一級機関(部外局)に昇格しました。組織は、局長、副局長、幹事の下に、七科 [ 図書情報科、文化資産科、芸文広報科、視覚パフォーマンス科、伝統戯曲科(南北管音楽戯曲館)、彰南演芸科(員林演芸ホール)、行政科 ] 、三室(人事室、会計室、政風室)を置く編制とし、51人体制として、同年3月1日に各界の期待を集めつつ、文化局が正式に成立しました。初代局長は李俊徳副局長(元文化センター主任)が代理し、1983年以来ずっと八卦山牌楼のそばに立っていた「彰化県立文化センター」は、「彰化県文化局」として生まれ変わりました。

彰化県文化局八卦山のふもと

彰化県文化局は、交通の要衝であり、商業エリアに連なって人口の密集している、彰化市中山路と卦山路の交差点に位置しています。1978年1月に建造が決まり、1981年6月に工事発注、漢宝徳教授が設計を担当し、同年同月26日に工事着工、1983年1月に竣工し、同年10月4日において正式の落成と相成りました。伝統の美とモダンな造形の融合を設計のコンセプトとし、スケールの大きさを表すと同時に、細部の美しさにも気が配られています。

彰化県文化局建築の特色

本局の建築は伝統の造型を軸として、外部構造と内装において伝統の美とモダンな造形を融合させています。著名な建築家である漢宝徳教授の設計・企画であり、中国特有のスケールの大きさを表すと同時に、細部の美しさにも気が配られ、見る者に親しみを感じさせる建築です。

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